国芳 仁田四郎忠常 冨士の人穴に入る図
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仁田四郎忠常による人穴探検を描いた作品。
建仁3年(1203年)、富士山のどこかに「人穴」という奇妙な洞穴があるとの噂を聞いた源頼家は、家臣・仁田四郎忠常に人穴探検を命じた。従者五人を率いて向かった忠常であったが、探し当てた人穴の中で次々と怪異に襲われる。苦労のすえ人穴の奥部にたどり着くも、白装束の鬼とも神ともつかぬ人物にすぐに立ち去るよう命じられ、忠常は命からがら逃げ帰った。頼家のもとに帰った時には、五人いた従者は一人だけになっていた。地元の古老は「この穴は浅間大菩薩の住み給う場所であります」と語り、二度と「人穴」には近付かないように頼家を諌めたという。
国芳(くによし)
寛政9年(1797)〜文久元年(1861)
浮世絵師。画号に一勇斎・採芳舎・朝桜楼などがある。江戸日本橋にて染物屋の子として生まれたが、文化末年から 初代豊国 の門人となり、 役者絵 ・挿絵などを描き始める。文政末年より描き始めた錦絵「通俗水滸伝豪傑」シリーズで人気が急騰。以後「 武者絵 の 国芳 」として評判を得る。柴田是真にも学んだとされ、天保期には 洋風 風景画 も手がけるようになり、また 戯画 の豊かな発想から幕末の奇才と呼ばれる。